普通の人の投資と読書@シンガポール

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動物農場とリーダー論3

動物農場とリーダー論の3回目は、一見リーダーには見えない馬のボクサーに焦点をあててみたい。

馬のボクサーは、働き者で実直な労働者である。「人一倍」働くことを信条に動物の農場開始時から発展に貢献してきた。しかし、その強靭な肉体を天から与えられていたが、自ら考える頭脳は天から授かっていなかった。豚の政権となり、ナポレオンが独裁していく過程において、「何かおかしい、スノーボールは勇敢なリーダーだった」と思いながらも、自ら考えて行動することはできなかった。そして、「ナポレオンは常に正しい」という信条を加えて独裁政権下でも無垢に一生懸命働くが、過労で倒れた後に、あっさりとナポレオンの謀略で肉屋へ売られてその生涯を閉じる。

無垢であり、誠実であり、懸命なボクサーの姿に対比して、最後はつらい結末で彼の人生は終える。労働者の象徴で率先垂範のボクサーはリーダーにふさわしい。他の動物達も彼を尊敬し、彼についていっている。彼は、動物農場でもっとも「リーダー」として要素を持っていた。しかし、彼はリーダーになれなかった(ならなかった)。ナポレオン政権で、軍事的(肉体的)要素、リーダー的要素としてクーデターを起こせる存在であったが、その力は発揮されない。彼にはその頭脳がないから、といえばその通りだが、もう一つは彼を使う参謀がいなかったからと解釈している。


リーダーが常にすべての要素を持っている必要はない。リーダーは多様であっていい。ボクサーのような人望ある、力強いリーダーを陰で支える頭脳的な存在がいればボクサーはリーダーたりえた。その意味では、ボクサーとスノーボールが組んだ政権が誕生すれば動物農場は繁栄したであろう(もちろん、そうなってしまうと、ジョージオーエルが風刺したかったソ連にならないのでそんなことはできないが)。


リーダーを定義するのは難しい。そのスタイル、手法、人柄はその組織に応じて多様だから。ただ、ボクサーがリーダーとなるような組織は強いと思う。それは、ボクサーを支える周りと、朴訥なボクサーをリーダーとしてつぶさない組織の文化があるからだ。動物為のために常に戦い続けたボクサーに黙祷。

 

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