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動物農場とリーダー論1

ジョージオーエルの動物農場とリーダー論

動物が人間を追い出し、革命・独立する動物農場をリーダー論の視点で読む。

動物農場で登場する「リーダー」の主役はもちろん豚のナポレオンとスノーボールだ。ただ、典型的なリーダーだけでなく、馬のボクサー、人間のジョーンズもある意味リーダーだ。動物農場の「一人ひとり」のリーダーの姿を通じてリーダー論について考えてみたい。

今回はまず、豚のナポレオンと日本サラリーマン社会におけるリーダー論。

豚のナポレオンは、サラリーマン社会でもっともよくいる The ダメな社長。。。演説は下手だけど、機を見てポリティカルに振る舞い、権力を得て独裁者となる。 そして、犬(人事権力)とうい伝家の宝刀でバッサリと政敵を首にして、自分の都合の良い取締役会でわがままに振る舞う。

動物農場を読んでいるときは、こんな独裁者は現代社会に、、、なんて思うが、身近にいないかよく見るといっぱいいる。ナポレオンの本質は、私欲・臆病の2つだと考える。公器である会社を私欲で独裁化して、自分の利益の為だけに費やす。そして、そこには非常に臆病な心があり、スクィーラーという側近を表に出して、自分は家に隠れている。

さて、某N社の元CEOはナポレオンではなかったか?そして、このナポレオンは実はもともとは「悪い」ものでなく、彼は周りの環境によって作り上げられている。動物農場で大多数が文字を理解し、自分で考えて発言できるものが半数(いや、3分の1)以上いれば、ナポレオン政権は初期に崩壊している(というか、独裁政権として確立されない)。会社でも権力闘争において、中堅の幹部が独裁化する前に止められることはできるはずである。或いは、仕組上は「社外取締役」あたりがその役割を担っているはずだが、日本では飾りであまり機能しているところは少ない。

リーダーは組織を率い、問題を解決する者とすると、ナポレオンのリーダー評価は下の下。いわれなくても、そうであろうが、そこには組織自体の仕組み・質の問題も存在していることを強調したい。リーダーは一人でなれるものでなく、それに従う人(自覚があるかないかは別)がいて初めて、リーダーになれる。つまり、ナポレオンの個人のリーダーとして評価でなく、それを生み出した組織としてのリーダ育成・選抜・決定する仕組(その内部の人の質)としての評価が「下の下」であることが最大の問題だ。農場の動物たちは文字を理解し、自分で考えて発言できないことにそこまで非はない(まぁ、もとは動物だからしょうがない)。が、しかし、会社の社員は同じだといっていいのだろうか。日本の会社員は社畜で、「社員に発言権はない」というのはごもっとも。でも、そうであれば、そこは動物農場と変わらない、というか、それがジョージオーエルが見事に描写した「動物農場」だ。

リーダーは一人にしてならず。それが、動物農場ナポレオンから最も印象に残るリーダー論。

次回は、スノーボールから見るリーダー論 ↓

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