普通の人の投資と読書@シンガポール

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動物農場とリーダー論2

ジョージオールの動物農場をリーダー論として読む。

今回は豚のリーダー、スノーボールに焦点を当てる。
テーマは「正しい」リーダーが組織では淘汰されがちな現実である。

豚のリーダー、スノーボールは、素晴らしい理念、企画力そして実行力を兼ね備えた「よき」リーダーである。人間たちの逆襲があった際にも、事前に計画を練り、先頭に立って自ら戦い、人間を追い返した勇敢なリーダーである。そして何より動物達の生活をよくするために風車の建設を提案し、その演説力で仲間を引っ張っている。

そんなスノーボールは、豚の政敵ナポレオンが飼いならした8匹の犬によって一瞬で追放され、その後姿を消してしまう。あらゆる失敗・失政はスノーボールによるものと濡れ衣を着せられて、悪者として動物農場でレッテルを張られたまま物語は終わりを迎える。

リーダーとしては非常に優秀であるはずのスノーボールはどこで道を外したか。。。1つ目は、豚による指導体制となった時に、豚の仲間を募らなかったことである。また、他の動物達にも仲間としてスノーボール派を形成しなかったことだ。いくらスノーボールが優秀でも、指導体制の中で孤立してしまっていれば力が発揮できない。逆に言えば、いくらナポレオンが犬で追い立てたとしても、他の豚の仲間や盾となる他の動物がいれば追放されることはなかったはずである。公平であり、誰とも組まなかったことがスノーボールの弱点となった。

二つ目は、再び復権しに現れなかったことだ。個人的にはどこかでクーデターに来てほしかった。人間を呼び込むか、他の農場から動物達を率いて戦争を仕掛けるか、こっそりとクーデターをたくらみナポレオン政権を転覆しに現れてほしかったが、彼にそのチャンスはなかったようである。或いはその仕込みをしていなかったことが原因とも思える。その意味で彼は政治的に優れていなかった。


組織において非常に優秀なリーダーが生き残ることなく、淘汰されている。スノーボールのように、ドラスティックに追放といかなくても、窓際に追いやれるようなことはよくある。これは一言でいえば、政治的に負けた結果である。組織で生きる以上は、権力が重要である。権力は、「ルール(憲法、決裁権、代表権)」によっていることが多いが、もちろん多数派、人事権(軍事権)で覆すことも可能だ。企画力、実行力に優れたリーダーが政治力がないために淘汰されているのだ。別の言い方をすると、企画力、実行力で全く優秀でないリーダーが政治力によって組織を掌握しているということだ。

国家、会社、公共団体どこでもこの風景は目にすることができる。残念ながら・・・。理念の正しさよりも、政治力学が組織においてリーダーを生み出す要因としては強いのだ。リーダー論というと、どう組織を率いるか、カリスマリーダーになる、という(自己啓発系の)How to本が多いが、根底にはもっとドロドロとした「政治」要素が大きい点を忘れてはならない。その意味では、リーダーは一流の政治家でないとだめなのだ。政治的な活動だけで、組織を食い物にするナポレオンのようなリーダーはになってはいけないのであるが。


 スノーボール(このネーミングは、彼の悪のイメージががどんどんと雪だるま式に増えていくことからきていると推測する)にならないために、立技の正論だけでなく、寝技の政治を持たないいけないのである。さもないと、そのリーダーは長続きしない。